山陽道

2009/10/03 三石~長船(香登)

汗かきなので、暑いとき歩くのはつらい身ですので涼しくなり山陽道てくてくしてきました。JR大阪から新快速に乗り(8:30)姫路、乗り換えて相生、相生からまた乗り換えて山陽本線の普通で三石に来る。大阪発の9時のに乗っても同じだった。
ここ三石はレンガ工場が多い。前に見える山はレンガの土を取るため削られている。備前市一帯は耐火煉瓦の生産で国内の3割を占めている。歩きだして少しして左側に三石一里塚跡の石柱がある。これといって古い町並みもない。JR山陽本線のレンガのトンネルをくぐれば、750mほどで国道2号線にでる。弟坂、兄坂と2号線を進む。山陽自動車道の備前ICあたりになると道が入り組んで歩道があるほうに横断すること2,3回。八木山には取り残されたように集落と旧道が残っている。山陽道の下をぬけると、明治天皇行幸碑があります。一里塚跡の石標もある。道は二軒屋、四軒屋集落を通り、1kmで2号線から右に旧街道が続く。旧道に入って1.5kmほどで伊里川を渡ります。北に行けば閑谷だ。川を渡ると道は道は西に向かい、200mで二股のわかれ道を右に行きます。このあたりは伊里中で民家が多い。わかれ道より1300mほどでまた2号線と合流する。少し手前には藤ヶ棚茶屋跡があります。備前藩主の休憩所であったところです。2号線大池の横には一里塚跡の石柱と説明書きがある。2号線は下りになり、備前コンクリートの前で右に入る。新幹線の下をくぐり、大東集落の中を行く。天神宮の交差点で2号線を横断して赤穂線の踏切を越えて下っていく。もう、12時50分だが、ここまで全く食堂の類がない。備前市の中心片上に入るがここも食堂があるが1時までのようで閉まっている。スーパーらしきものもコンビニもない。しょうがない。市役所から少し行った右手に宇佐八幡宮がある。狛犬は備前焼だ。このあたりの神社の狛犬は見た限りではみな備前焼だ。宝永橋を渡ると道は左にカーブしながら商店街の中を行く。閉鎖されたアルファー備前という商業施設を過ぎた角を右に曲がり、葛坂峠に上がっていく。アルファーの敷地内には脇本陣が、角のパチンコ店には本陣があったようだ。峠にはお夏茶屋跡がある。お夏とはお夏清十郎のお夏で、井原西鶴の浮世
草紙『好色五人女』(1686年刊)やそれを脚色した近松門左衛門の世話物『五十年忌歌念仏』のお夏です。しかし、米問屋の娘のお夏がいつ茶屋で働いてたのだろう?峠を越えて2号線に合流して少し進むと、交差点にスーパマルナカがある。2時にマルナカでやっと、岡屋名物の「えびめし」を買ってお昼だ。マルナカの横を斜めに入っていく道が山陽道です。また、交差点の片上よりには伊部の一里塚跡があり、石標が建っている。旧道に入ると伊部地区は備前焼の中心地です。街道沿いには窯元やギャラリーが軒を並べている。街並みも途切れてきて新幹線の下をくぐり、大西集落に入ると左に大きな池が現れてくる。大ヶ池です。池の堤防にベンチもあり、池を見ながら休憩する。大ヶ池より1kmほどで香登に入る。大内神社の角に石垣があり、ここが香登の一里塚跡です。一里塚跡の石柱が建っています。香登は間の宿で吉井川が川止めのときは旅人はここに宿泊したようです。香登はまだ古い町並みが残っている。香登をぬけると二之樋、そして、坂根集落に入る。大用水を渡り、新幹線の下をくぐると吉井川の堤防上の2号線と合流する。ちょうど合流地点に長船パーキングエリアという売店、レストラン、温泉施設がある。2号線を歩きながら地図を見ると吉井川を渡るとJRの駅があるのが、山陽本線の上道で橋を渡ってから8km以上ありそうだ。時間は今4時前。後戻りして赤穂線の香登駅に向かうのもいやだし、赤穂線の長船駅に向かう。駅に15分ほどで着く。16:25発に乗り、岡山に行き、新幹線で大阪に帰ってくる。

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2009/06/13 相生~三石 パート2

田んぼの広がる街道を行く。このあたり一帯は梨ヶ原・宿遺跡で中世の集落の跡があったそうです。
027 そして、今の梨ヶ原集落にはいります。この集落にも「明治天皇駐輦之碑」があります。ここで駐輦とは?
天子の行幸の途中、一時のりものを止めること。また、その地に滞在すること。駐駕(ちゆうが)。駐輦(ちゆうれん)。集落を過ぎ、国道に出て100mほどで右の道路に入りJRの踏切を渡ってすぐに左の船坂峠に向かう旧道に入っていきます。この道は舗装されていて自動車通行禁止です。峠に向かってだんだんと登っていきます。

032人気のない さみしい道を上って1kmほどで船坂峠に着きます。京都、大坂、兵庫を歩き、峠を越えると岡山に入ります。峠の道路横には「縣界 東宮殿下行啓記念 岡山縣」の碑があります。ちなみに行幸とは天皇のお出ましで行啓とは天皇以外の皇族のお出ましとのようです。今の峠は昔の峠より30mぐらい低い。碑の右斜面の上が昔の峠の高さで「従是西備前國」の石標があるそうだが、ここからは行けそうにない。

037 峠を少し下って行くと右に「雲水の井戸」がある。昔の旅人がのどを潤したことだろう。今でも水はあります。井戸から少し下ると、右に山を登り返す道があり、この道が旧の峠あたりに行ってます。行くと前述の石標があります。元の道に戻り下っていく。国道に合流して800mほどで川の手前を右の旧道に入ります。踏切を越え、船坂集落、そして、JR三石駅前に着く。(15:50)時刻表を見れば、あと6分で姫路方面行きの列車が来る。今日はここまで。

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2009/06/13 相生~三石 パート1

相生に1カ月少しぶりにやってくる。大阪駅を9字の新快速に乗ったのでここに着いたのは10:28だった。お決まりどおりに前回の終わり地点に行く。赤穂街道の分岐からのスタート。今日は、難所の有年峠越えだが、はたして通れるのかsign02
陸本町から西国街道を1km進み、JRと新幹線の下をぬけて2号線を横断して山裾を進む。すぐにまた、国道と合流したりで500mほどで国道の側道に入っていくとすぐに旧道となる。ここから鶴亀の集落だ。001
写真では少しわかりにくいが、国道の反対側、透明の防音壁の向こう側に
「明治天皇駐驛處」の碑がみえる。あちら側に行くには、だいぶ遠回りをしないと行けそうにない。鶴亀を過ぎ、国道を200m進み、横断して若狭野町上松集落に入る。250mでまた国道を横断するが、トンネルがあるのでそこをぬける。すぐ右にはいろいろな記念碑なんかがまとまって建ってある。そんなに国道から、はなれもしないで旧道はあります。八洞に入り道はY字に分かれて右に200mでひだりへ。道はY字の左に行ったのと同じ道だ。若狭野小学校の前を行き、少し広い道を横断して進むのだが、右100m先にスーパーがあるので行く。いなりずしとビールを買って、少し早いが昼にした。
1kmで国道と合流して進む。500mで右に行き、矢野川の堤防に突き当たり、左に行き、国道とまた合流。国道はJRを越えるため高架になるが、旧道はその右に回り込み、進むのだが線路がある。線路の向こう側には旧道がある。右よし、左
002 よし、・・・・・・・。写真は線路を越えて続く旧道。すぐ右に材木屋のような建物があり、地図を見たり、この写真を撮っていると、65から70ぐらいのおじいさんがやって来て、「あんた、この前もここ来てたやろsign032回ほど見た」とか「どこどこの法務局で見た」とかわけのわからんことをのたまう。
国道とJRの間の旧道は400mほど続いて、畑集落に至る。
                                            国道に出て、反対側に続く旧道へと渡る。少し歩くと有年横尾の集落が始まる。400m進むと交差点があり、みぎに200mにはJR有年駅がある。交差点左角あたりに「有年村道路元標」あり。ここ横尾は比較的古い町並みも残っている。旧道は国道に出て矢野川と千種川を渡り、すぐの堤防沿いを左に曲がり、旧道を行く。ここからは東有年の集落がはじまる。ここは道幅も広く本陣もあったようです。集落の終わりあたりには有年宿番所跡がある。ここにも「明治天皇駐輦記念碑」があるようだが民家の裏側にあるようで見つけられなかった。
集落のはずれでT字路になる。ここに道標があったそうだが今はない。右にに行き、国道を渡り、街道はつづく。すぐ右には八幡神社の鳥居があり、石段が続いている。片山、東中野、西中野を通り、また国道を横断して西有年に入る。横断してから500mで墓地に突き当たり、左に進み、少し行くと一里塚跡があり、標識がある。長谷川を渡り、上組集落に入る。このあとは有年峠を越える山道になるのだ
012_2 が通れるのか?進む。上組には
立場跡の三村家がのこっている。(江戸時代の宿と宿のあいだの大名の休憩處のようなところ。)今は無住の様子。有年峠は明治のころにはもう人の行き来が少なかったようで、明治天皇の行幸の際は国道2号線を行ったようだ。国道沿いには明治天皇駐碑があると山陽道パノラマ地図中にある。そして、人家もなくなり上りに差し掛かると道にゲートがあらわれた。あ~despair通行止めか!標識には関係者以外立ち入り禁止のようなことが書いてあるが、ゲートは開けれるし、開けたら閉めるように書いてある。イノシシ除けのゲートでここから左右に柵が続いてある。ゲート通過(2:00)すぐに砂利道の林道となるが車の轍はつづいてる。左には大きな坂折池がある。
014 その林道も終わり(2:16)さて、道はと?少し草があるが道らしき跡は続いている。木があるので道跡は下草があまりなく山歩きをしている者ならドンドンだ。峠あたりも草はなく、落ち葉が積もり歩くのに苦労しない。それと赤テープがところどころにあり、道に迷わな
い。


016
峠に2:28着。峠といってもここで上りが終わり、下って行ってるとわかるだけである。下りの道はわかりやすく歩きやすい。みなさん迷ったとか、ゴルフ場に出たとか?どこをどう進んだのだろう?山道も終わって少し広くなってくると・・・・・・・・

019ゲート
そしてこちら側にもゲートが現れる。(2:38)ゲートは紐でくくってあり、ほどいて通り、またくくっておく。少し歩くと田んぼも見え始め民家も近い。2:41国道2号線にでる。国道を横断して民家の間を進み、つきあたりを左にと旧道を行く。

続きはパート2へ 
ココログ(niftyのブログ)は写真を入れたり、文章を入れたりしていると、アップすると乱れてしまいます。何回やっても直りません。ご了承ください。

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2009/05/09 山陽道  青山~相生 晴れ

3カ月ぶりに西国街道歩きにやってくる。朝、家を出るのが遅くなり、JR姫路駅に着いたのが11時18分で、バスで宇野津医院前に着いたのが12時だ。歩きだし、青山三丁目あたりから左に入り、500mで左に公園がありお地蔵さんが祀られている。ここを左に曲がり青山(山田)峠へと上り、下れば山田集落にでる。集落の中ほどの民家の軒先には「明治天皇山田御小休所」の碑がある。山田を過ぎ、2号線と合流して700m進むと右に少し広い道で霊園に行く道があり、そのところに昭和の年号の「南無妙法蓮華経」の碑があります。そこの横から旧道があります。400m進むと左には「桜井乃水」の標識があり、竹やぶの中に井戸がある。そこから1500mほどでまた、国道と合流し、1km国道を行く。
Photo
桜井乃水      

2

山田峠 Photo_2

明治天皇山田御小休所

国道沿いには商業施設が多い。1kmでまた、左へと旧道が続く。西本町あたり左には小高い立岡山がある。このあたりが旧宿場の鵤であるが、今は普通の町並みだ。これと言って古い建物があるわけでもない。斑鳩寺への参道の常夜灯が角に建っています。1842年の銘があり、土台石に「石工 大坂 西横」まで読めます。たぶん西横堀だろう。あとは埋まっていて読めません。その後、林田川に突き当たり、国道の誉鳩橋に迂回して渡る。 対岸の道を行く。ここからはたつの市になる。500mほど行くと右に「庄屋彌右衛門翁彰功碑」が建っています。そこから400mで揖保町門前の乗願寺前で西国街道は左に折れ曲がり進みます。山陽新幹線が近づいてくる。しばらく進むと山陽本線の踏切の横で街道は昭和高分子の工場に突き当たって途切れる。右の国道まで出て、揖保川の揖保川大橋を渡り、対岸に行く。かっては「正條の渡し」と呼ばれた渡し場だ。もと宿場の正條の中ほどに本陣跡井口家があり、「明治天皇御駐輦跡」と「明治天皇正條行在所」の碑があります。このあたりに来ると少しは昔の宿場のたたずまいを感じる。500mほどでJR竜野駅前に出る。竜野の銘産、醤油の工場もあり、匂いが漂ってくる。駅前から少し行くと道幅が少し広くなる。500mで広い道より左の山際の狭い道が西国街道となる。200mほどで旧片島宿だが、民家がとぎれとぎれあるだけの田舎道だ。民家が途切れたあたりに西池があるが一部埋め立てられ、近くの山が削られて道路が造られている。相生市に入る。少しで二股道を左に行き、山陽新幹線をくぐり進む。左には若宮神社があり、少し行くと、郵便局前を通り、2車線の道路を渡り、700m進み、2車線の道路に合流し、相野産業前で右に入り進む。350mでまた、広い道路を横切る。みぎにだ少し大きな花屋がある。200mほど行くと相生市駅近くなり、再開発したのだろうか急に道幅も広くなり、新しい家並みになる。相生駅周辺が整備されて新しくなっています。大きなビジネスホテルもできている。しかし、駅周辺は人通りも少ない。まあ、新幹線も停車するんでがんばったんだろう。街道も変わっただろう。陸本町の三叉路から分岐する赤穂街道の道標も少し移転したようだ。今日はここまで。(16:00)

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2009/2月7日山陽道 曽根~青山

久しぶりに西国街道を歩く。去年の9月以来だ。JR曽根からの再開だけど、姫路辺りまで来ると交通費も往復で3000円ぐらいになる。11時前から歩きだす。駅前からは北方向に道は曲り、国道の少し手前の小道となり、道なりで国道を渡る。代り映えのしない田畑と民家の道を行く。700mで高砂市に入る。北宿には六騎塚という「備後守児嶋君墓」と銘した碑がある。160年ほど経っているわりには立派な碑である。
Dsc014792

六騎塚
「備後守児嶋君墓」

別所に入ると右側奥のほうに鳥居が見え、日吉神社がある。300mで国道2号線を歩道橋で渡る。道なりに進んで、播但道の下を抜けて,御着集落に入る。御子から集落が多くなり、右には大きな寺、延命寺が建つ。境内には上部が破損した碑があり、1345年の銘がある。門前には「明治天皇御着小休所」の碑が建つ。街道から離れて国道沿いにあった御着城跡へ行く。今は、姫路市の出張所のお城風の建物が立ち、公園にもなっています。建物の裏にたもと天川に架かっていた石Dsc014842 橋(1828年)が移転されている。これだけ立派な石橋が昭和47年までは天川に架かっていたのは驚きだ。増水のため折損落下したそうだ。御着は加古川と姫路のあいの宿だったそうで本陣もあったようで、公会堂のところにあったようです。
今はコンクリートとなっている天川の橋を渡り、国道312号を横断して進む。500mでJRと山陽新幹線を越え、1kmほどで市川の堤防に突き当たります。左の山裾には大きな「為溺死菩提」と刻まれた溺死者供養碑や「南無妙・・・」の題目碑など3つの碑がある。堤防沿いに北に進んで2号線の市川橋を渡ります。渡って北西に向かう道を行くと312号線、そこらあたりから区画整理やらで街道ははっきりしない。城下町のこともあり、まあ道はあちこちあっただろう。東光中学の前には案内板があり、ここが京口門跡とされている。その後、372号線を南に500mほどで右に曲がり進む。姫路の繁華街に入っていくとアーケード街になり、大手前通りに出る。ここからは姫路城がよく見える。横断してアーケードを進む。商店街においしそうなタイ焼き屋さんがあったので(100円)歩きながら食べた。寒い時でもあってとてもオイシイ。300mほどで船場川を渡り、突き当たりを右、そしてすぐに左に進むと本徳寺という大きな寺の前に出ます。本徳寺まえを北に進み2号線を横断する。50mで三叉路になり、左へと街道は行きます。このあたりからは古い町並みが残っています。500mほど行くと更地になっている赤十字病院前を左へと道なりに進む。広い道のトンネル前に出て、横断してから今宿に入る。2kmほどでまた2号線と合流します。途中、中ほど右30m奥には今宿の題目碑がある。合流し、250mでJR姫新線を高架で越える。高架あたりは工事中であった。少し進むと下手野でまた右に旧道へ入る。
Dsc014892 700mほどで
旧道は夢前川に出ます。左の民家横には大きな常夜灯が建つ。2号線の夢前橋を渡り、旧道の対岸からはまた、旧道が続きます。700mほどでまた、2号線に合流します。
2号線を少し歩宇津野病院前のバス停の時刻表を見ると、JR姫路駅行きは少なく、あと17分で来るのを乗り過ごすと、また1時間以上あいだがあくので3:47ので姫路まで戻ることにする。
さて、次はいつになるやら・・・・。

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2008/9月22日山陽道 西明石~曽根

JRに乗って西明石に来ました。21日、22日と中山道を歩く予定をしていたが、21日雨だったので延期。それで、こちらに歩きに来ました。西明石は新幹線や区画整理で旧道は三社神社の前からは残っているが、すぐに2号線に出て少し行き、派出所の所を入り、その横を左に入ると旧道、250mでまた2号線にでて、斜めに横断して街道は続く。加古川までは20mから30mまでの台地です。そして、ため池もたくさんあります。西国街道は大久保に入り、本陣は安藤家だが安藤家は3軒ほどあり、どこが本陣だったかわからない。このあたりから上がり坂になり、あがりきったところに古い洋館があり、「明治天皇大久保御小休所建物」の碑が建ってます。このあたりから道は少し広くなってJR大久保駅もちかくなり、マンションなども多い。500mでまた、2号線にでる。旧道は2号線を斜めに横切ってあったようだが、今は富士通などの工場となっている。工場を過ぎてすぐ、右に入り、50mほどで牛小屋(角を曲がるあたりからなんかにおいがすると思っていたら牛小屋があった)を過ぎたところを曲がる。ここからは山陽道は2号線に沿って続く。金ヶ崎には太山寺道の道標がある。JRに近いので、もとは田畑だったところは新興住宅街になっているところが多い。長池、清水、土山と、見るべきものもないので急ぐ。土山を過ぎて、山陽線の踏み切りを越えると、1kmでまた、2号線に出る。(12:15)2号線に出たのでお昼にする。ちょうど、「まいどおおきに食堂」の平岡食堂があったので昼食。斜め前で同じく昼食中の60歳ぐらいの男性。リュックを持っているし、同じ西国街道歩きのような気がする。先に出て行ったので見ていると自分が行くのと同じ方向に行った。(12:40出)2号線を渡り、斜めに入るがすぐに小学校に突き当たる。2号線を渡り、また旧道は続く。1kmほど進んだところの二股の所に食堂で見た男性が立ち止まり、進路を確かめていたので声をかける。そのひとはリタイア組で、今は西国街道を歩いているそうだ。二股を左に行き、1kmほどでショッピングセンターにつきあたるがその中を行くと次はマンションに突き当たり、ここは通り抜けられなさそうなので右にぐるりと迂回して反対側に出る。そこからはまた、旧道は続き、野口、坂元と進むとまたまた、「和泉式部…」の石碑があります。日本にいくつあることやら???。
元JRの高砂線あとの道路を過ぎると加古川の市街地に入る。旧道は寺家町商店街になり、アーケードになる。加古川はカツめしで有名。昼を食べてあまり時間がたってないが有名な旭食堂でカツめしを食べる。加古川宿のちょうちんかざりがあって少し宿場を感じさせる。加古川橋を渡り、道の反対側へ行き、土手から数百mの旧道を行き、2号線を斜めに進み、旧道をまた行く。1.5kmでJR宝殿駅前だ。駅前から石の宝殿までまっすぐ道が伸びている。
せっかくここまで来たのだから寄り道をする。片道1.6kmほど。歩いていたら時間がかかるので走っていく。凄く大きな石が切り出される途中のような形で祀られている。裏の山に上がると海の方も見える。また、走って返って来る。40分ほどの寄り道だった。宝殿の駅を過ぎたところで街道は線路を反対側に渡ります。神爪には石の宝殿の鳥居が建っています。少し行くと左隅に宝殿への石標がある。加古川バイパスの下を通り、法華山谷川の橋をわたり、2kmほど行くとJR曽根駅あたりにでる。(16:30)今日はここまでとする。


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2008/4月12日山陽道 神戸・長田~西明石

長田に着き、この前の終わりに探して見つからなかった「吟醸」(居酒屋)を見つけてから歩き出す。今日の帰りはここで飲むこととするつもり。

(11:15)出発。21号線となっている西国街道を行く。新湊川の橋のたもとに源平合戦の勇士の碑がまとめられて祭られています。そんなに古い時代ものではない。震災後の道路の拡張、区画整理などでまとめられたのだろうか。そして、新しい家、マンションも多い。桜も半分ほど散ってしまったが、天気もいいので公園では花見をしている人はまだ多い。妙法寺川を渡り、第二神明の下を通って山陽の月見山駅の前まで来る。このあたりから2号線に交わるまで片側2斜線の道に新しく拡張されて、歩道も広くなっている。多くの家が立ち退きになったみたいだ。その道路沿いのとんかつや「かっさい」でお昼にした。

2号線の西国街道を西へと進む。左にJR須磨駅が見え、右には須磨浦公園が山沿いに続いています。2号線の歩道を通るのも単調なので公園内を通っていきました。山陽の須磨浦公園駅すぐの所からは山の上までロープウエイかあります公園の西の端には敦盛塚があります。このあたりは一の谷合戦場として知られ平敦盛が熊谷次郎直実によって首を打たれたと言う伝承からこの石造五輪塔は敦盛塚と呼ばれるようになった。

ひたすら2号線を海沿いに歩く。塩屋、滝の茶屋、東垂水のやまてには住宅が広がっている。塩屋あたりからは明石海峡大橋が見えてきます。垂水に入ると左の埋立地にマリンピア神戸がある。アウトレットなどの商業施設です。以前、車で来たことがある。大橋に近くなると舞子公園があり、そちらのほうに入っていく。観光客や遊びに来ている人が多い。

Dsc00972 明石海峡大橋

公園の一角には明治天皇歌碑があります。とても立派の石造りの碑です。橋の下あたりには移情閣が移築されて公開されていす。2号線に戻り西に進むことにする。少しで、たたき地蔵と呼ばれる舞子延命地蔵尊が見えてきます。そこを少し行くと、2号線から左に入っていく旧道が500mほど残っています。2号線を1Kmほど進み朝霧川を渡り、すぐ左に曲がり進むのが西国街道です。そこに、「南無妙法蓮華経」と書かれた大きな碑が残っています。ここはもう明石市に入ってきました。  国道からはなれて少しは古い町並があるようだが、震災でそうでもないか?
明石の市街地に近づくにつれて商店や飲食店が多くなる。少し寄り道をして魚の棚商店街を歩く。400mほどのアーケードには魚屋、明石焼き、いろんな店が並び、観光客風の人の方が多いように思う。本来の道に戻り明石川に架かる大観橋を渡り、すぐの分岐の右の道に入り、突き当たりを右に行き、山陽電鉄西新町駅を越え、2号線高架の下を通り、西新町1丁目角を左に曲がり進んでいきます。住宅街を進み、175号線を越えて、このあたりからは古い民家や田畑がある少し細い道になります。
Dsc00981 和坂(かにがさき)あたりにある民家
家のに庭には色々な置物、つぼ、いろんなものが置かれています。
このあたりでは有名なんでしょう。まもなく2号線に出ますので進み、花園町で左に入っていくとJR西明石駅まえの交差点です。
(4:49)今日はここまで。

山陽道(西国街道)は少し休み、次からはまた、中山道を歩こうと考えています。4月12日に歩いたのにここにアップするのがだいぶん遅くなってしまいました。怠慢でした。 

追加、西明石から長田にもどり、「吟醸」という地酒を置いている居酒屋に寄って来ました。以前より行ってみようと思っていましたが何しろ少し遠いので行く機会がなかったお店です。長いカウンター(20人は座れたかな?、奥にも部屋があるが見えない)の奥のほうに座り、まずはビール、ここは、梅の宿と松の司をメインに置いておられて、種類は多いです。お酒を3杯、鉢盛りの1品、お造り、玉子焼きなどで3780円でした。 美味しいお酒でした。

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2008/3月1日山陽道 門戸厄神~神戸・長田

前回の阪急門戸厄神駅からスタート(10:45)少し歩くと右に門戸厄神への石標が建っています。西国道は、住宅地の中を進み、御手洗川を渡ると南へ向かいます。旧道は、今はグラウンドなどでありませんが、その中を通り、171号線を渡り、JR線をくぐり、次に2号線を越えて進みます。

Dsc00750 海清寺の大楠

2号線を越えた右奥去に大楠のある神社のような建物がみえてきます。
行ってみるとお寺です。大きな楠木が数本あって、県の天然記念物に指定されています。西国街道は43号線に出る手前の本町交差点を右に曲がり進みます。

蛭児大神御輿屋伝説地

Dsc00753_2

札場筋をこえたところに「蛭児大神御輿屋伝説地」と書かれた石標が建っています。漢文ではっきり分かりませんが後で調べると、むかし、鳴る尾の漁夫が、武庫の海で漁をしていて、網に恵比寿様が入ったので、海にもどし、神戸の和田岬でまた、網を入れると同じ恵比寿様がまた、網に入ったので家に持ち帰りおまつりしました。ある夜夢で「西のほうに宮地があるので案内いたせ」とお告げがあり、御輿に乗せて出発したら、途中一休みされた恵比寿様は居眠りをされて、お目覚めにならないので困った漁夫は恐れ多くも恵比寿様のお尻をつねってお起こしし、ようやく西宮神社に着いたそうです。このお尻をつねった所が御輿屋跡であります。ここを過ぎると、すぐに西宮神社の鳥居が見えてきます。お参りしていく。神社の石の灯篭はあちこち欠けて新しい石で補修されているのが多い。震災のためこれから歩いて行くところもまだ、更地の所も多いだろう。神社の南側を行き、圓満寺を過ぎたところから右に旧道が残る道に行く。少し歩いて行くと阪神香枦園駅前です。香枦園から500m以降は線路が高架になったり、区画整理などで旧道は、はっきりしません。打出駅前の喫茶店で昼食。その後、残った道をたどり、2号線に出る。2号線と重なった西国街道を2.7km進む。芦屋の2号線沿いには、ラーメン屋が多い。お昼もとっくに過ぎたのにラーメン屋によっては行~列ができてる。そう言えば、なんか雑誌のラーメン屋特集でみたような.///おなかいっぱいやし、通過。
天井川を渡り、少し残っている旧道へと2号線を右に入るが、それも600Mで2号線に出ます。住吉川を渡り、住吉神社前を通り、この後、西国街道は国道の南側をとおり、御影小、中学校の敷地内を貫通していたようだ。回り道のため阪神石屋川駅前を通る。大きな商業施設の建物がある。学校の西側からは旧道をたどり、阪神線沿いに住宅街の中を新在家、大石へと進む。大石を過ぎると、旧道は原田中学校に突き当たり、途切れるので2号線へ出ます。2号線は左にカーブしていきますが、西国街道は、そのまま広い道をまっすぐに進みます。200mほど行き、街道は右に上がって行き、JR灘駅前で下がってきます。阪神の岩屋駅前からは、まっすぐ三宮まで行きます。三宮が近くなり、商店街も多くなる。JR三宮駅ができたために、旧道は一部途切れる。迂回し生田神社左に行き、400mほどで右に折れ、元町商店街の中を1kmほど歩きます。商店街は何回かぶらぶらしたことがある。色々のぞきながら歩いて行くと、あっという間にアーケードをぬけた。
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元町六丁目の兵庫県里程元標

元町六丁目から300mほど行き、JR神戸駅の西口に回り込み、少しややこしいが線路より3本目の道を南西にと行きます。湊八幡神社の前には新しく西国街道の案内板が設置されていますので参考になります。本町2丁目の公園を過ぎた角にも新しい説明版があり、ここが昔の札場があったことなどが書かれています。進んで兵庫駅に至り、駅前より斜めに広い道路を進み、28号線に出て、そのまま行くと長田神社に続く大きな交差点にでます。神戸高速長田駅や地下鉄の駅のある交差点です。
第三日目はここまでです。

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2008/2月11日山陽道 茨木~門戸厄神

梅田から阪急に乗って茨木、バスに乗り継いで1月6日に来た太田にやってきました。2日前に降った雪がこのあたりはまだ残っています。しかし、今日はいい天気ですsunsunsunsun
家を出たのが遅かったので11時のスタート。

歩き出してまもなく安威川を渡ります。左すぐ横には名神高速が通り、旧道は名神の反対側にある。回り込むと道はあります。ここは、旧道と旧道が橋でつながっいなくてちぐはぐになっています。
  
椿の本陣
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 勝尾寺川を渡り、171号線を横断すると郡山宿に入り、本陣、が今も残ってあります。大阪で昔の姿で残っているのは貴重です。昔、椿の大木があったので椿の本陣といいます。今でもありますがそれは後代の椿です。ここの本陣は、今も住んでおられます。 

これから先、箕面の萱野まで171号線は右側200mから300mに沿ってある。茨木と箕面の境まで来ると、モノレール彩都線ができて、171号線を越えて箕面の山の方まで行っている。豊川駅ができていて、新しい家が建ち始めている。後数年もすれば、にぎやかになっているだろう。小野原あたりでお昼にするため一旦、171号線にでてファミレスで食べることにしました。
小野原には、笹川という名前が結構多いのが目につきます。「西国街道歴史散歩」には、小野原の墓地には笹川良一氏の墓があり、傍らには米国ジミー・カーター前大統領参拝記念之碑が建っているとあるが、笹川良一氏はこのあたりの出身だったのか?
萱野の手前で旧道は、171号線に吸収されて新御堂筋と交差する。南のほうを見ると、ビルなどが林立して大阪市内かと思えるほどです。北は、カルフールなどの商業施設ができています。

萱野2の交差点から左に旧道がまたつながり、少し行くと、萱野三平旧邸跡があります。
    萱野三平旧邸
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萱野三平は赤穂浪士の一人で、討ち入りには加わりませんが、忠義と孝行の板ばさみで元禄十五年1月14日自刃しました。
今では街道に面した長屋門が残っていて、本邸は明治に取り壊されました。管理棟の絹泉は萱野家に関したものが展示されています。


 山陽道は牧落手前で171号線と交わり、300m進み、右へと入っていくと、高級住宅街の百楽荘です。阪急箕面線の桜井駅を過ぎ、半町から瀬川は昔、宿場があった所ですが、今は、その名残は全くありません。箕面川の手前で南に折れて、また、171号線を越えると阪急石橋です。つぎに阪急宝塚線を越えると小さな溝があります。そこに昔、石の橋が架かっていたのがこのあたりの地名に由来するそうです。その石は、少し南の石橋南小学校の校門を入った右のほうに置かれています。
飛行機の飛び立つ姿が大きく見えてくると、猪名川の軍行橋です。橋の西詰を左に行き、ダイハツの横を右に入っていきます。Dsc00718


辻の碑

JR宝塚線を越えて少し行くと、右に公園のようになって、「辻の碑」という石標があります。今では、「是東寺十里」としか読めませんが、「摂津名所図会」によると、『ここから山城・播磨・丹波・和泉との国境までそれぞれぎ十里ある』ということが書かれていたとあります。つまり、摂津の国の真ん中ということです。

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和泉式部の墓
西国街道は伊丹坂を上ります。その途中を左に入っていくと和泉式部の墓と言はれている五輪塔の一部があります。え~っと、そういえば、中山道の御嵩宿から少しのところにも和泉式部の墓があった。出生地、墓といわれるものは各地にあるようです。

西国街道は千僧の自衛隊駐屯地の横を通り、伊丹の警察署、市役所を右に見て、昆陽に至ります。このあたりは昆陽宿があったあたりですが今はその名残はありません。西国道は、171号線といっしょになり、寺本では少し旧道が残るがまた、171号線になり、西昆陽で大きく左に曲がって甲武橋に行くが、西国街道はまっすぐに武庫川に突き当たります。武庫川の渡しは、「髭の渡し」と言っていたようです。私があった対岸へと甲武橋でぐるっとまわって行く。報徳学園の横から旧道に入り、上大市からは斜めに阪急今津線の門戸厄神駅まで来ます。予定通り今日はここまで。(18:08)

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2008/1月6日山陽道 京都から茨木

1月から4月頃まで中山道のほうは雪のため休み、その間、4回ほど山陽道を歩くことにします。山陽道は京都、大阪では西国街道といい、古文書では「山崎街道」「唐海道」と記されているそうです。1月6日まだ正月休みの最後に第一日目の山陽道を歩きだす。わりと暖かく歩くにはいい日だ。

近鉄に乗り、東寺まで行く。東寺では、骨董市が開かれている。多くの店が出ていろいろ

Dsc00657と売っているが、素人は見るだけにしとくに限る。見て歩くだけでも面白い。外人さんもけっこう見かける。やっぱり京都だ。あまり見ていることもできないので、10:10東寺さんから九条通りを歩き出す。 500mほど行くと、羅城門跡の碑が建っている公園があります。その昔、大きな門があって、都の出入り口であった。芥川龍之介の小説「羅城門」としても有名です。あと500m行くと九条通りとも分かれて旧道に入っていく。桂川を久世橋で渡りる。橋の袂には料理旅館が一軒ある。その裏に旧道があり、古い家並みがあります。進んで東海道線につきあたり、ここは、300m右に迂回して地下道を通り、JRむこうまち駅前に行く。少し行くと阪急東向日駅。11:30早めにえきまえのうどん屋で昼にした。街道は府道67号になったり、離れたりしながら進みます。京都、向日町
そして、一文橋を渡り、長岡京市に入ります。長岡京は旧街道を石畳にしています。また
、古い町家(旧石田家住宅)を長岡京市ふれあい町家として無料で公開しています。近くには一里塚という地名が残り、東寺口から8kmです。このあたりまで「愛宕山」と彫った道標兼灯篭がいくつも街道筋にありました。友岡には与市兵衛の墓があります。(萱野三平の義父でこの辺りで浪人に殺されたとか)
街道は、大山崎に入り、次に島本町、島本町には、国史跡桜井駅跡があります。

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駅とは、奈良時代に道筋に設置された駅家で、馬など旅に必要なものを備えた施設だったそうです。今は、広い公園になっています。この横に今、JRの新駅が建設されている。上牧あたりまで行くと、マンションや新しい家が多くでき、道も広くなり、まちがってその広い道を阪急の上牧駅のほうに行ってしまった。間違いに気づいて引返し、JR線の下をくぐって旧街道を進んで行く。高槻の市街地まではまっすぐ5kmほどです。高槻駅を左に見て芥川町、芥川宿があった宿場です。ここは、昔の宿場の枡形が残っていて、鍵の手に道が曲がっています。昔は、本陣があった所は民家になっている。芥川には大阪ではめずらしく一里塚が形を少し残しています。
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この社の後ろに一里塚が残っています。

芥川宿には本陣などは残っていませんが、古い町並みなど一部残っています。

Dsc00673 芥川の防水壁
芥川橋の横の道には大水のときに水があふれて入ってこないように板をはめる石の切り込みが残っています。これと同じのが中山道太井宿の永田川の横にもあった。高槻から茨木の西国街道沿いには今城塚古墳や継体天皇陵もあります。一月、まだまだ、日の落ちるのは早く、5時なので今日は終わることにする。東芝の工場横の太田というバス停から近鉄バスに乗り、阪急茨木駅まで乗り、梅田、JRに乗り換えて鶴橋、近鉄で瓢箪山に帰って来た。
今日は、25kmぐらいの道のりでした。久しぶりに歩くと膝の裏のスジが痛くなりました。としですねえ~。

ここの文字の編集は何回やってもできません。あしからず。

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